私は小学生のころ、3年ほど人前で声がでなくなった時期があります。
親の前だと元気に話せるのですが、学校の教師やクラスメイトの前だと話せなくなってしまうのです。
毎日学校にいっており、勉強もついていけており、何しろ家では話すので、親は心配しておらず、病院に行くことはありませんでした。
しかし物を拾ってもらっても、「ありがとう」が言えない。
ぶつかっても、「ごめん」が出てこない。
声が出るようになったら、絶対言いたいと、あのとき、毎日思っていたことを思い出します。
私立の中学に進学し、環境を変えることで自然と話せるようになりました。
大学の教育学の授業で、場面緘黙という言葉を知り、私はこれだったのだろうかと思いました。
場面緘黙とは、他の状況で話しているにもかかわらず、特定の社会的状況において、話すことが一貫してできない障害です。
私は症状は軽かったのかもしれません。
でも、なかには成人にしても治らない方や、体が動かなくなる方もいると聞きます。
大学のころ、不登校の子供向けのボランティアをしており、そこで場面緘黙の子供さんがおられる母親と出会いました。
私の過去を話すと、そのお母さんは「私の子供も麻央さん(私)みたいに声が出るようになるだろうか」と泣きながら話してくださいました。
当時は力になりたい一心で、「できると思います」と答えてました。
言葉が話せなかった3年間は、私にとってはものすごく暗く、深く、大事な時期として心に残っています。
大学卒業後も、いつかまた声が出なくなったらどうしようと、不安で仕方ありせんでした。
場面緘黙は当事者が言葉を発せないため、学問が進んでおらず、専門医が少ないこともわかりました。
私は場面緘黙を広めたいと思い、新聞社で記者をして、場面緘黙の特集を組もうと思いました。
ありがたいことに新聞社で契約記者になることはできたのですが、
思いが強すぎて、または自分の過去を他人に知られるのが怖くて、
4年間記者の仕事をしたのですが、結局書くことはできませんでした。
結婚して仕事を辞めましたが、
子どもが療育に行っていることもあり、なにか役に立ちたいと考えています。
私はなんの取柄も資格もないですが、唯一書くことは好きです。
ブログを通して、何か発信できればうれしいなと思っています。