にゃんこママの独り言

発達グレー息子とうつ病ママの育児奮闘記です!

赤ちゃんを抱きたい

コロナの隔離期間が終わり、無事に旦那も仕事に出勤していきました。
長かったコロナ療養。
症状が引いてからは、家族みんなで過ごせる時間がたっぷりあったのはよかったです。

話は変わりますが、最近、赤ちゃんをとてつもなく、抱きたい!
でも3人目を育てる余裕はないので、姉か友達が出産してくれないかなーと思っています。
今日子宮頸がんの検診で、産婦人科に行ったのですが、妊娠中を思い出して感無量。
子どもたちとの時間、すべてはここから始まったんだなー、私も一人だったときがあったんだなーと感慨深い気持ちになりました。
新生児。かわいいですよね。
かわいいだけじゃなく、もれなく大変なんですけど。
あの時の可愛さを知っているだけでも、育児頑張れる気がする。


そういえば2月から次男も、療育に行き始めました。
2歳なりたてなので、できることは限られており、絵のマッチングとか集団遊びとかをしています。
次男は二語文どころか、パパママも言わないので、療育を機におしゃべりができるようになってくれたらいいなーと思います。
次男が療育に行っている間、ちょっとぽっかり穴が開いた状態になっています。
療育時間は、2時間なので、買い物行くぐらいしか時間はないですが。
息子がいない時間なにか有意義に使わなきゃと思いすぎて、なにもできないでいる状態です。
まだまとまった時間がないので、ぼーと過ごす時間にあててもいいのかなと思う今日この頃です。

コロナ闘病記

長男次男が24日にコロナに感染し、私も26日に感染しました。
26日は全身に筋肉痛があり、午後8時ごろから急に体温が上昇。
39度台まで上り詰め、家に常備していたカロナールを飲みました。
次の日も夕方まで38度台で倦怠感もあったため、カロナールを服用。
さらに次の日、病院に行き、PCR検査を受けて、コロナに感染しているとわかりました。

熱自体は2日で下がりました。
なので苦しさでいうと、コロナウイルスワクチンの副作用で高熱が出たときと同じつらさでした。
カロナール神!
比べるものではないと思いますが、出産よりは、まだ我慢できました!!!

味覚や臭覚異常もあります。おむつ替えの時ににおいが全然しないのと、ほうじ茶を飲んでも水に感じます。
正常に戻るには、どれだけかかるんだろう。。。
料理するときも味が濃くなりがちで、甘い、辛いはわかるんですが、うまみというか大事なものが奪われた感じです。

長男次男の待期期間は明日で終わり、私は8日に解除予定です。
コロナ禍でも、軽症だったので、自宅療養で済み、家族4人でいられてよかったです。
みなさまもコロナお気をつけて!!!

小説が書けない

昔から物語を考えるのが好きで、漫画や小説を書いていた。
でもうつ病になってから、薬の影響か空想したり妄想したりすることが苦手になり、物語を書くことができなくなった。

昨日音楽番組があっており、バックナンバーのクリスマスソングを聞いた。
切ないメロディーを聴き、小説書きたい!と思うのだが、詳しいことを考えようとすると頭痛がしてきた。

うつ病はだいぶ治っているが、再発防止のために薬は飲まなきゃいけないそう。
うつ病になってなかったら、薬を飲まなくてもよかったらなぁと思うが、そもそも私に才能なんてあったのかなと思う日もある。

才能がないことを受け入れるのが怖くて、薬のせいにしているのではないかと思うのだ。

小説を読み、これくらいなら書けると思っていたのは、私が子供だったからなのかも。
文章が得意だと思っていたのも、井の中の蛙だったのかもしれない。

でも大学生のときや記者だった時は、もっとアイデアが浮かんでいた。
刺激的な毎日に感化され、寝る間も惜しんで小説を書いていた。

高校の時は文芸部、大学では文学部、会社は新聞社。
芽生えていたはずの、才能が、今では消えている。
才能も大事に育てなければなくなるのかもしれない。

才能や名声なんていらないから、暖かい家族が欲しいと思って結婚したけれど、
家族がうまく回ると、才能も欲しいと、ついつい求めてしまう。
すらすらと小説が書けたあの日々を取り戻したいと願ってしまう。

贅沢すぎるのかもしれない。
たるを知るは、大切な言葉。

精神科に入院していた話

おととしの10月、うつ病を発症しました。
2歳と0歳の2人差育児の真っ最中で育児ストレスもあり、長男が療育に通うことで自分を責めていたことが原因でした。
自殺願望や他害、暴言などはなかったため、「うつでは?」と周りに相談しても、旦那や保健師さんは「考えすぎだよ」としか答えてくれませんでした。
しかし育児疲れがたたり、寝れない夜も続き、心身共に疲弊した私は子供たちを義母に託し、1人になりたいと言いました。
そのときも自殺願望はなく、ただ消えたい楽になりたいと思っていました。
疲れすぎて、自殺すら考えられない状況にあったのだと思います。

そこで旦那が心配してくれ、一緒に精神科に行ってくれました。
そこでうつ病と診断され、しばらく子どもと離れた方がいいと言われ、精神科への入院を勧められました。
私は専業主婦なのに、育児すらまともにできなかったのか、とその時も自分を責めました。

最初は開放病棟の1人部屋に住むことになりました。
初めて精神科の薬を飲んだ時は正直に言うと怖かったです。
ドアを開ければ、談話室があり、そこには比較的症状が安定している患者さんたちが会話していました。
私は人見知りなので、その輪に入ることはできませんでしたが、
週に一回レクレーションがあり、習字したり、アイロンビーズをしたりすることで楽しみができました。
週に一回、運動の時間もあり、散歩やバドミントンをして過ごしました。

旦那に会いたい気持ちはありましたが、子どもに会うのは怖かったです。
1か月ほど入院しましたが、最初のうちは子供との面会はできませんでした。
虐待など悪いことをしていないのに、なんでこんなに子どもに会うのが苦しいのかと思い直し、自分は悪くない、立派にやってきたと思い直しました。
薬が効いてきたのだと思います。

2週間後には相部屋に移り、子供との面会もできるようになりました。
子どもが初めて病院に来た時は平然としていましたが、帰るころには「まー」と言って泣いてしまいました。
後追いもせず、言葉も話せず、託児に預けたときに迎えに行くと帰らんとぐずっていた長男が、私を呼び泣いていました。
自分は母親なのだとその時、改めて思いました。

この子のためにも早く直さなくては。
私は朝散歩をはじめ、いろいろできることはやるようにし、1か月で子供のもとへ帰れました。

精神科に入院というと怖いイメージがある人もいるかもしれませんが、精神科内は人権も守られ、暖かい雰囲気でした。
先生も優しく、私が笑えるようになると一緒になって喜んでくれました。
そう、笑うこともできないほど衰弱していたのです。

入院中は暇でしたが、一人の時間を持ついい時間になりました。
もう入院することがないよう、これからは周りを頼り、自分を大切にしながら育児をしていきたいです。

 

これからの人生設計

この先の人生設計を考えてみました。
子どもが県外に進学する可能性も考えて、自分の人生は自分で楽しませよう!と思い、やや自分勝手なライフプランになっています。
興味がある方は覗いてやってください。。。

   目標    

30代 育児に専念 自分の時間をキープする

   (デジタルイラスト、書道、ブログ)、旅行を楽しむ

40代 習い事かパートを始める 

   子供たちの勉強のサポート(可能ならば仕事につなげる塾講師など)
   若い時に通っていた美術教室に遊びに行く
 
50代 子供の自立を受け止める 

   友達や旦那と旅行 九州に帰省 

   司書などの資格を取る
   生活リズムと整える やりたいことをやる 

   お金があれば通信制の大学院に行く

60代 やってきたことを続ける 

70代 へそくり〇円貯める(旦那が死後の老後資金)  

   新しいことにチャレンジする
   (油絵、漢検、塗り絵、パズル、ネットフリックスなど)

80代~とにかくぼけない

   歩く、話す、家事、勉強をする
   訪問看護やオンライン会話、ブログ

図鑑作ってみようかなぁ

今日から次男の療育の体験学習がスタート。
時間ができたので、近所の本屋をぶらり探索していました。

最近、長男が気になっている本が、図鑑です。
お風呂の入浴剤から出てきた動物や、近所にいた虫を見て、「これ調べたい」と言います。
「図鑑家にないから、買いに行こう!」というのですが、図鑑は高くて何を買ったらいいのかもわかりません。

比べる図鑑と、昆虫図鑑、水族館の図鑑、モノの仕組み図鑑など何冊かは持っていますが、
「調べる」となるとピンポイントでマニアックな図鑑が必要になります。

そこで、次男が療育に行っている時間を利用して、私が図鑑をいそいそと作ることに決めました。
まだ何から作っていいかわからないですが、写真をダウンロードして、ちょっとしたコメントを入れた図鑑を何枚か作っていこうかなと思っています。
喜んでくれるかなー。