にゃんこママの独り言

発達グレー息子とうつ病ママの育児奮闘記です!

改めて自己紹介。。。

ブログ初めて、あと1週間で、はや2か月。
今更ですが、自己紹介をしたいと思います。

 

出身は九州の北のほう。

高校まで人口9万人の田舎で過ごし、大学進学を機に脱出。
「私立の大学に行かせるお金はない.」と言われていたので、高校3年間は死ぬ気で勉強しており、勉強しか思い出がない…。
しいて言うなら、文芸部に入部しており、小説を書いていました!
大人しい地味系女子でしたが、今日も仲良くしてもらっている親友と出会いました。

大学は四国へ。
単純に、誰も私を知らないところで一からスタートしてみたかったから、選びました。

大学デビューしたかったんです。。。(笑)
あと偏差値に手が届く範囲で、寮がある大学があったことも大きかったです!
光熱費込み月1万円で個室の寮で、5年間(え…)過ごしました!
仕送りはなく、全部奨学金で賄いました!(月3万円なので、かなりの貧困生活でした)

大学時代、新聞記者に恋。
よく大学に来ていた新聞記者の、差別をなくそうと奮闘する姿に恋と憧れ。
柄にもなく、私も新聞記者になりたいと思い、一念発起。
地方紙の新聞社や、ボストンの出版社でインターンシップを経験しました。
採用試験は全滅(でも一社最終面接までこぎつけました!)で、契約記者として新聞社に“潜入”。

好きだった人はほかの人と結婚してしまい、採用になった会社も別の会社だったので、その人とは疎遠になりましたが、夢だけは残りました。

当時、私は自分が発達障害なのではと思っており、福祉に関心がありました。
福祉をテーマに約1000記事を執筆。特集やコラムも書かせてもらいました。

その後は大学時代アルバイトしていた職場の先輩と、付き合うことになり、入社4年目で退社。
先輩のいる中国地方に行き、同棲をして半年後に結婚。

結婚式を待たずに子どもができ、つわりに苦しみながらウエディングフォトを撮影。
妊娠中だったこともあり、新婚旅行がてら沖縄の教会で二人だけで結婚式をしました。

長男、そして2年後に次男が生まれ、今日に至ります。

九州に帰りたいなと思う日もあれば、ここでよかったなと思う日もあります。
ざっと書いたので、わかりにくいかもしれません。

読みにくいですよね。。。

また面白そうなエピソードがあれば、詳しく書いていきます(*^-^*)

二人目の余裕はどこから来るのか

私には2人の子供がいますが、長男は言葉が遅く、3歳近くになるまで単語もほとんど出ませんでした。
支援センターの保健師さんや地区の保健師さんに相談しまくり、病院に連れて行き、あげくはうつ病になるまで自分を責めました。
結果発達障害の傾向があったのですが、病院に行った夜はこの世の終わりのような気分にもなりました。
テレビが教育に悪いと聞いて、テレビをずっと消して、ひたすら息子にしゃべり続けていました。
とにかく知育になること、息子が伸びることを精一杯やってきたつもりです。

 

一方次男も、もうすぐ2歳になるのですが、まだママ、パパすら言いません。でも、私の心は余裕なんです。あんなに必死になることもありません。

 

愛が足りないわけではありません。長男もそうだったから、なんとかなるわーと楽観視できるようになったのです。

また長男の時は完全ワンオペで私と長男との関わりしかなかったので、なにかあったら自分のせいだと思っていました。次男は旦那や義母にもよく預けるため、1人の責任だと思わなくて済んでいます。

 

とはいえ、2月で、2歳。
来月発達検査に行きます。

 

療育に行くことになったら、受け入れられず病むのではないかと精神科の主治医に心配されていますが、杞憂な悩みです。

療育のよさもわかっているからです。
療育はトイトレしてくれたり、ひらがなを教えてくれたり、“育児塾”みたいなところで本当に助かっています。

 

と言いつつ最近発達検査のことばかり気になっている私。。。

意外に気にしているなぁ。。。

 

あ、メリークリスマス!(クリスマス感ゼロの記事ですみません涙)

生きてさえいれば人生は裏切らない

歌やスポーツ、勉強、なんでもそうだが、何か突出して長けている人を見ると、時折不安に駆られることがある。
それができなくなったら、燃え尽きてしまうのではないかー。

亡くなった神田沙也加さんのホテルから、歌が歌えなくなったらどうしようーと書かれた紙が見つかったという。
歌と芝居で生きると覚悟していた彼女にとって、その恐怖はどれほどか。

子どもを産み、うつ病になり、社会を“引退”した身から言わせてもらうと、才能がなくなった後も人生は続いていく。
恋人を失っても、子供を失っても、同じで、無常に時が過ぎていくのだ。

私は書くことが好きで、小説家を目指していた。
しかしうつ病を発症し、服薬の関係か想像することが苦手になり、小説を書くと頭痛がするようになった。
大好きだった、才能があると信じていた小説が書けなくなり、落ち込んだこともある。
でも、人生は変わらず、続いていった。
相変わらず家族がいて、家事や育児などやることがあって、ライフワークがなくなっても、私の人生は変わらなかった。

つまり何が言いたいかというと、才能がなくなった、その先の人生も悪くはないよということだ。

神田さんとは悩みの次元が違うと思うけれど、死因もなにもわからないけれど、生きてさえいれば人生は裏切らないと信じたい。

今年の振り返り

私の、今年の漢字を発表したいと思います!
それは「歩」でした。

昨年10月、育児ストレスからうつ病を発症し、約1年。
無理せず、育児することだけを考えてきた一年でした。
今年を簡単に振り返ってみたいと思います。

 

★トップニュースベスト3★

①長男が幼稚園に入学
3歳になり、ようやく幼稚園に入園できました!友達もでき、毎日楽しく通っています。
幼稚園に入るまでは、なかなか言葉がしゃべれなかったのですが、今ではうるさいくらいに話をしてくれます。
砂場遊びや工作がブームのようです。七五三も経験し、スタジオアリスで写真撮影をして、お祝いしました。

うつ病の症状が治ってきた
うつ病発症当初は、子供のおむつ替えするのもつらく大変で、実家の母親にヘルプに来てもらっていました。
運転もドクターストップで止められていたので、療育、幼稚園の送り迎えは義母がしてくださるようになりました。
数か月後、睡眠、食事、朝散歩をすることで状態はよくなり、子供と無理なく接することができるようになりました。
運転も許可がおり、近所の買い物までは行けるようになりました。

③ブログを始めた。

なんといってもブログ開設。日々考えていることを整理したり、吐き出したりすることで、日常に変化が生まれました。
コメントなどで読者の方の反応を知ることもでき、本当に充実した時間を過ごせています。ありがたい限りです。

 


今年は本当にのんびりしていました。。。
来年したいこともぼちぼち考えていきます!

うつ病の公表

私の周りの人は、私がうつ病だと知っていますが、新しく出会う人に、告白するのは勇気がいります。
それは、偏見が怖いからです。

幼稚園で公表するのも、怖いです。
子どもがいじめられるのではないかと思ってしまうからです。

でも私は精神疾患がある自分を受け入れたいです。
みんなが自分のことを話すように、私の一部である精神疾患も話していきたいです。
子どもにも受け入れてほしいし、差別というものをしてほしくないと思います。

うつ病統合失調症認知症について、どんなイメージがあるのでしょう。
誰でもないうる病気で、怖いとは思わないでほしいです。
大阪ビルでの放火事件で、心療内科か精神科の患者が犯人とされたことで、精神障害に対する偏見が助長されないか危惧しています。

精神科の多くは診察の予約がいっぱいで、診察が受けづらかったり、診療時間が短かったり、入院がしづらかったりで、十分なケアにつながっていない人も多いです。
この事件を機に、ケアが必要な人に、十分なケアができる体制づくりを強化してほしいと願います。

 

先取り教育は必要か。

先取り教育、英才教育は必要か、私の考えを今日は書いていきたいと思います。

子どもが率先して自らやるなら、先取り教育賛成派です。
でも小学生になって新鮮な気持ちで勉強に臨んでもらいたいので、すべて先取りする必要はないのかなと思います。
あくまで子どもがやりたいだけやればいいのではないでしょうか。

うちの場合は特別なことはしていないのですが、長男が療育に行っているため、いろいろ覚えてきます。
ひらがなも数字も、数の概念も色も、ほぼ療育で覚えてきました。
今ではなぜか、英語のフォニックスまで歌を歌えます。(笑)

長男本人は書くこと、作ることが大好きです。
なので、年中になったら、ひらがなを書く練習をさせてもいいかもと思っています。

 

余談なんですが、長男はサヴァン症候群の気配があり(旦那には親ばかで考えすぎといわれます)、暗記というか記憶力がすごくいいんです。
サヴァン症候群とは、障害のある人が、優れた能力を持つことで、例えば一回見たらすべて暗記してしまうとかですね。
長男も物の配置の記憶が鮮明で、ひらがなもすぐに覚えました。

でもいいばかりではないようで。

地区の担当保健師さん曰く、長男は創作、暗記の能力が高い一方、人の考えを読むのと自分の考えを表現するのが苦手のようです。
2つの能力に差が出れば出るほど、本人は苦しむことになると言われました。

 

なのでうちの子の場合は、英才教育に力を入れるのではなく、みんなで一緒に遊ぶ経験をたくさん積んでいく方がいいのかなと思っています。

たくさんのチャレンジをさせたい!

俳優の栗原類くんが書いた本「発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由」を読みました。

共感と勉強になるの嵐でしたが、その中でも一番共感したフレーズがこちら。

「僕はショーのオーディションを受けたり、落ちたりの繰り返しが多かったため、『これに落ちたらこの世の終わりだ』という気持ちは全くなかった」

早い時期からオーディションという試験を受け続けることで、不合格にも耐性がついたという話は驚きでした。

私自身は高校、大学受験はあまりチャレンジはせず、合格できそうなところに行ったため、就職試験でマスコミを受けるとき苦労しました。
一社落ちる度に、「この世の終わりだ」「自分はダメなんだ」と思っていた時期があります。

息子が私と同じように簡単に挫折しないよう、栗原くんのように子どものうちからたくさんチャレンジさせ、落ちることも経験させた方がいいのかもしれないと思いました。


栗原くんはこうも書いています。

「たとえ一社受からなかったとしても、別の事務所でべた褒めされることもあります。
いつも親に言われていたのは『捨てる神あれば拾う神あり』です。
今ここで選ばれなかったとしても、この先ずっと選ばれないわけじゃないし、今ここにいる人にとってはピンとこなくても、この先出会う誰かが才能があると認めてくれればそれですむ。
人生は長いんだし、この先数えきれないほどの人に出会っていくんだから、今選ばれなくても問題ないと。
選ばれないことでメンタルが傷つくこともないし、選ばれたときに無駄に浮足立つこともない。真に受けない心を持つようになったと思います」

この先、息子も小学校で支援級か普通級かの選択から始まり、高校、希望するなら大学進学などいろんな選択、試験が待っていると思います。
それだけではなく、本人がやりたいと思うことはたくさんチャレンジさせ、もし不合格になった時にはこの言葉を送りたいと思います。